上席顧問津田克彦先生のブログ
新コラムⅡ 津田克彦の「個人の意見です!」⑵「海外引率体験記(第1回)」
2025/02/10 公開
2025/05/27 update
教員生活46年間でたくさんの小学生を海外に引率してきました。今回からその体験談や、子どもたちが国際交流プログラムで得たことなどをお伝えしていきたいと思います。50年ほど前の話から始まりますので記憶が曖昧で多少事実と異なったり、当事者の思いと違う部分があるかもしれませんが、その点はご容赦ください。
西日本の私立小学校の海外研修旅行は昭和45年に始まります。西日本の私立小学校が連携して太平洋少年親善使節団を結成、夏休み期間中に11日間台湾と沖縄(当時米国統治下)を訪問し学校訪問や交換会を行ったそうです。小学校の修学旅行は1泊2日が普通の時代です。沖縄はまだアメリカの統治下にあり、訪問するにはパスポートが必要でした。大人でも海外旅行はハードルが高かった時代に小学生を外国に連れて行き国際経験を積ませるという考えで実施をした諸先輩の発想力や実行力に驚くばかりです。往復は船を利用し、積み荷の準備などすべて先生方が行ったので大変だったと聞きました。その後、私が勤務することになる小学校独自で昭和46年からアメリカハワイ州への訪問が始まります。学校訪問やホームステイ、交歓会などの本格的な国際交流のプログラムです。ホノルル市教育局の全面協力のもとに実施されたということですから第1回の交渉や準備は想像を絶するものがあったと思います。国際交流事業は形を変えながらも現在も続いています。
「ハワイ訪問①」
私は昭和49年4月に就任しました。私が勤務する小学校は大阪城の三の丸の跡地にある
明治21年開校の西日本では最も歴史のある小学校です。(なぜ私が公立の小学校ではなく私立の小学校を選んだのか・・・どこかでお話しする機会があればと思います)前述のように、就任したときにはすでに国際交流が行われていました。私が初めてハワイを訪問したのは昭和50年の春休みです。その後、校長として引率するまで幾度も訪問し、たくさんの子どもたちと思い出を作ることができました。途中、残念な思いをすることもあり一時中断しましたが再開後はホノルル市教育局ではなく、ホノルル市内にある一つの小学校と交流を始めることができるようになり、隔年ごとの子どもたちの相互訪問や先生方との交流なども実現しました。
そのころハワイには、まだ日本語が話せる日系2世や3世の方がたくさんおられ小学生がホームステイする家庭としては理想的でした。ハワイの子どもたちも片言の日本を話せる子が多く、学校で英語(明治21年の開校当時から英語教育が取り入れている)を学ぶ日本の子どもたちと、日本語と英語が混じった会話は微笑ましいものでした。日本の子どもたちの訪問はハワイのお祖父さんお祖母さんに特に歓迎され、ハワイらしい食事よりもお寿司やてんぷら、すき焼きといった日本食を準備していただいたご家庭が多かったようです。ホームステイから帰ってきた子どもたちはホームステイでのエピソードなどを楽しそうに語ってくれました。
(つづく)

上席顧問 津田克彦

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